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髙良さん選書とコメント
穂村弘以降の、短歌のトップランナーたちが集められているアンソロジーです。上の世代の歌人にとって現代短歌の「現代」がだいたい俵万智で止まっているのに対し、この本ではその後の40年間をみることができます。
この本ではゼロ年代以降の重要歌集が一望できます。ここ20年間の秀歌の総決算です。若手だけでなく広い世代の歌人が紹介されているのも嬉しいところ。
意外と知らない、働く与謝野晶子。恋愛歌人として知られる晶子が、職業婦人として追い求めたものはなんだったのか。この本は多面的な晶子の姿を伝えてくれます。
短歌といえば俵万智。その40年間の軌跡を書評家のスケザネこと渡辺祐真による解説付きで辿ることのできる選集です。最新歌集まで一貫して衰えることのないエネルギーが感じられます。
現在の短歌実作者に多大な影響を与えた穂村弘の選集です。口語短歌の次の時代は穂村によって切りひらかれました。
幻視の女王ほかいくつかの二つ名で知られる葛原の全容に迫るにはうってつけの本です。評論によって葛原短歌の確立を辿った川野里子が、いま読み返すべき歌を抜粋しています。
前川佐美雄は私のいちばん好きな歌人です。戦前にモダニズム歌人として出発し、戦後さまざまな毀誉褒貶に晒されたのちに評価を確立した佐美雄の軌跡を、評伝の書き手である三枝がまとめました。
70年代の女歌論リバイバル以来、馬場あき子は女性短歌を牽引するオピニオンリーダーとなりました。穂村弘が聞き手となって、数々の秀歌とともに、その半生に迫ります。
短歌実作に入門するならこの本を措いて他にありません。どんな入門書よりも苛烈に人間の秀歌観を書き換えていきます。
10のテーマで10首ずつの短歌を紹介する『近代秀歌』の続編です。やっぱり実際にはもっとたくさんの短歌が引用されています。この本では、主に戦後から80年代ごろまでに登場した歌人たちの歌が言及されています。
恋や青春など、10のテーマで10首ずつの近代短歌を紹介するというコンセプトの本です。実際にはもっとたくさんの短歌が紹介されます。『はじめての近現代短歌史』の次に読むと、あのとき登場した戦前の歌人たちのおもしろい一面が見えてきます。しかも写真入りです。
最先端のAI短歌研究をとてもわかりやすく解説してくれている本です。AIは、ある単語にどのような単語が続くのか、統計的に演算して文章を生成します。そしてAIの短歌はこれからの短歌史にどう影響するのか。意外といい歌を詠むのでびっくりしました。
就職氷河期を経て、現代でもプロレタリア文学の再興がささやかれるようになりました。この本は戦前のプロレタリア短歌の興亡を伝えるとともに、戦前と現代との違いを考えるきっかけにもなります。
戦争という出来事を詠んだ歌や、戦地での歌など、日清・日露戦争から太平洋戦争までの戦争歌を集めた本です。「紅旗征戎吾が事に非ず(藤原定家)」の和歌の時代から、戦争を詠む短歌の時代へ。その一側面が垣間見えます。
耳学問おすすめ歌集(髙良さん)
私たちの生活にはこんなにも詠嘆したくなる場面があったのかと気付かされます。例えば琺瑯鍋を火にかけるとき、例えばすいかを齧るとき。特に食べ物の歌が印象的でした。
この人の短歌の裏側には湿原が広がっています。私は不思議の国の湿原を見ました。そこでは太陽が人の子を食べ、野原は人攫いを続けています。
雪降る季節に読みたくなる歌集です。言葉遊びを織り込みながら、歌人は近く遠くの死者を弔い続けています。忘却は弔いの最終的な到達点で、この歌集では弔う自分自身すら忘却されることを目指しているように思えてなりません。
短歌の亡霊が蘇ってきました。短歌は帝国時代の日本と共にあります。その刻印を歌人の身に逆流させる試みは、自らを生贄にして過去を弔う孤独な儀式にも見えました。
短歌は呪文として、風や月や、身の回りにあるものを祝福します。歌人の日常に埋め込まれた少し不思議な場面は、短歌となることでその輝きを私たちにも伝えてくれます。
耳学問おすすめ歌集(暮田さん)
短歌というカメラへの信仰にも似た信頼が、ほんらい写真に映らないはずのものまでありありと映してしまっている。
「AIでも書ける」というくたびれた貶し文句からもっとも遠い意味で、AIが書いたような短歌だと思う。
わたしがあしたもわたしであり、あなたがあしたもあなたであること。それだけのことがこんなにもおぼつかない。
「肉体を捨てて脳だけになって生きたい」などとは夢にも思わない人たちのための歌集。もちろんわたしはそのひとりだ。
短歌とは、人間ひとりが身をかがめてやっと入れるようなせまさの穴かもしれない。川柳句集『Ladies and』と読み比べる楽しみも。