紀伊國屋じんぶん大賞2011
(2011年出版の人文書/第2回)
紀伊國屋じんぶん大賞2011 大賞
『暇と退屈の倫理学』
國分功一郎さん 受賞コメント紀伊國屋じんぶん大賞をいただきましたこと、とてもうれしく思います。ありがとうございます。
この本は私自身が抱いていた個人的な悩みから書かれました。「誰かこの悩みについて考えてくれているひとはいないのだろうか...」と、本をなんとなく探し始めたのが10年前です。調べ始めると、これが自分だけの悩みではないこと、それどころか、これまで人類を長きにわたって苦しめてきた悩みであることが分かりました。最終的に私は歴史を一万年も遡って、人類史のことを考えるところにまで行き着きました。
この悩みについて考え始めたのは、当然のことながら、この悩みから解放されたいと思ったからでした。そして不思議なことに、〈暇と退屈の倫理学〉を構想する中で、実際に私はそこから少しずつ解放されていきました。これが学問の力なのでしょうか。学問というものはやはり何らかの役に立つようです。今回このような賞をいただけたことも、この学問の力のお陰だと思っています。
私は大学で教鞭を執る教師です。大学の教員は学問的作業を行うためのお金と時間をいただいています。誰もがハイデッガーの難しい本を読めるわけではありません。読むには訓練が必要ですし、時間も必要です。しかし誰かがやらねばならない。私のような大学教員がお金と時間をいただいているのはそのためです。ですから大学教員には、自らの学問的作業の成果を、大学の学生、そして広く社会に還元していく義務があります。
「義務」と言いましたけれども、私が感じているのはそれだけではありません。私は、お金と時間をくださり、このような作業を行うことを許してくれている大学という制度やいまの社会に心から感謝しています。なぜなら、こういうことがいついかなるときも許されるはずだなどと思ってはならないからです。それを許さない社会はすぐにでも到来しうるのです。
いま日本の大学や社会は、数え切れない程多くの深刻な問題にとりつかれています。そのことを考えると、時に絶望的な気持ちになります。特に原発事故の後、私はそのような気持ちになりました。しかし、いまの日本の大学や社会には、そうした問題を解決していくための足がかりがまだ残っています。いや、勇気ある人たちが、これまでにそうした足がかりを作ってきてくれているのです。
そうした足がかりはもうほんのすこししか残っていないかもしれません。しかし残っています。私みたいな人間が、大学教員をしながら、『暇と退屈の倫理学』という本を書いて出版し、それによってこのような賞をいただけたことが、その何よりの証拠です。
この残りわずかな足がかりを守っていかねばなりません。そしてそこに足をかけて、できる限りのことをしなければならない。そう強く思います。
©岩澤蘭國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、訳書に、デリダ『マルクスと息子たち』(岩波書店)、コールブルック『ジル・ドゥルーズ』(青土社)、ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)、共訳として、デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』(岩波書店)、フーコー『フーコー・コレクション4』(ちくま学芸文庫)、ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(みすず書房)がある。*プロフィールは当時のものです。
紀伊國屋じんぶん大賞2011
(2011年出版の人文書/第2回)
*「紀伊國屋じんぶん大賞2011」は2011年に刊行された人文書を対象とし、2011年12月8日~2012年1月3日の期間に読者の皆さまからアンケートを募りました。
*当企画における「人文書」とは、「哲学・思想、心理、宗教、歴史、社会、教育学、批評・評論」のジャンルに該当する書籍(文庫・新書含む)としております。
*推薦コメントの執筆者名は、「さん」で統一させていただきました。

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