紀伊國屋書店:フェア「時間への想像力」

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フェア「時間への想像力」

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【読む・話す・秘める。人間と時間の不思議をめぐるフェア】

本を読むということは「未知の時間の形と出会うこと」ではないでしょうか?

小説・人文・サイエンス・SF・美術…、ジャンルを横断して厳選を重ねた"時間"をめぐる本のみで構成された書棚を展開いたしました。じっくりご覧くださいませ。

カウンター左手、催事スペースにて開催中です!

文学、人に流れた時間は何処へ

時間を水の流れにたとえるのなら、それはどこかで雨となって降る/降られることもありはしませんか。そこに人のものや人でないものが粒子となって混ざり合う、灰の雨になる。顕微鏡の倍率を上げるように時間の内へ内へと、光景が引き伸ばされ眼差しの中に入っていくような描写に、もう帰って来られなくなりそうになる。帰る、という束の間のなにかの不思議さ。

読んでいる私の方の存在が怪しまれるほどの、静寂を書く言葉、その密度が結ぶ音や光、疑い。十二の短編に通底する沈黙の底に訪れるものへの眼差しが、記憶の懐古とは異なる道筋へと踏み入る。古井由吉、七十の境から鋭く降りる時の流れへの洞察、その内に流れる時、淵の暗みの白。

和やかなエッセイだと思っていると、もう濃密な時間論が始まっている。本を読むこと、憶えること、忘れること。時代に形づくられる時間/排除される時間。時間について一冊を通して語り尽くしているのですが、どこから読み始めても面白く、最初から通読するという常識的な読み方にこだわってはいられないほど。

回文(はじまりからも終わりからも読むことのできる言葉)による詩、本や文具に施された彫刻の数々からなる作品集。長大な回文は「読む」という一方向の流れにありながらも、両側から言葉の光景が互いを映し合い、二つの時間を縫う別の流れを浮かび上がらせるようです。回文と美術という一見異なる方法の連関を綴ったエッセイでは、言葉と時間、存在の残ることと消えることへの鋭くも慎重な思考が展開されています。ずっと一緒にいたい一冊。

もう会うことのない最愛の人へ書かれた手紙、約束が連なる短編集。私的な手紙という宛先ただ一人にだけ向けられた言葉が、読むうちに何処からか誰からかも分からない声になって、木霊になって帰ってくる。「手遅れ」の指先でしか書き留められない声の通路。

子供のころ友人を奪った殺人事件とよく似た事件が起こる。大人になった「ぼく」は腹話術師として劇場に立っているが、声は奇妙に変質してゆき誰のものか分からない。散りばめられた記憶の断片。独特の語り口がとにかく魅力的で、未知の領域まで連れ込まれるスリルと、垣間見える「永遠」の切実さ。

“星座小説”と著者自身が呼ぶように、一本の長編でありながら111の独立した物語が並び、それぞれがゆるやかに断続的に結ばれていきます。昼と夜が、歴史と個人が、記憶と夢が見えるものと見えないものとを反転させながら映し合う、そのスクリーンの様に互いを分かち隔てる家であり人々の物語。(キノコ愛好家必読のキノコ文学でもあります)

見知らぬ男に差し出された一冊の本。一度ページをめくるともう二度と同じページには戻れない…。(表題作「砂の本」) 合わせ鏡のように不意に現れる無限の迷宮を本の内側に作り上げてしまう、ボルヘスの魅力が詰まった短編集。ラテンアメリカを代表する作家であり、世界中の作家に多大な影響を与えた、その影響を受けてみませんか。

言葉への鋭い感覚の果てに話すことを失った女。彼女は外国語によって、それも馴染みのない遠い言語によってのみ自らの言葉への通路が回復されることに気づき、ギリシャ語講座に通い始める。一方ギリシャ語講師の男は視力を失いつつあった。世界を分かち合う方法の欠ける境界に出会う二つの時間、二人の問い。

雪が顔を打つ、海の凍るカナダの島、山道、犬や馬たちの吐息と濡れた毛並み。読むにはもどかしいほどの寒さに、水や血や、人の内を流れるものの熱が滲む。著者自身の生活に基づくという厳しい自然の季節の巡りを、通り抜ける一筋の光、残像。

時間とは一方通行の流れゆくもののはず。しかしこの小説は100年にわたる添島家の人々を行きつ戻りつしながら描きだす。記憶は一方通行ではない。古く鮮やかな記憶は誰にでもあるだろう。記憶を完全に共有することはできず、必ずこぼれ落ちるものがあるとしても、切実に真摯に語る口調がここにある。

果てしない「時」の流れのなかで、私達のそれぞれ抱えている物語がすれ違ったり重なり合ったりすることで温度が生まれ、初めて「時間」になるのだと思います。だからでしょうか、「時間」を気にする時にはいつも、誰かを思い浮かべてしまいます。ちなみに、この小説には百人以上の登場人物が出てきます。

時間の意味をめぐる不朽の児童文学にして永遠の傑作。函入・クロス表紙・焦茶のインクと大人向けの美しい装幀が柔らかに映える愛蔵版。この本と子供の頃に出会うということは一つの大きな幸運であり、ずっと出会い損ねたまま大人になって、初めて読むとするならば、より一層幸運である。

SF、時間への想像力

この本を読んでいる時、この本が全てになる。“夢中になる”だとか“時間を忘れる”といったようなことではない、物語という終わるものを読むこと、それが世界になることの不思議さ。続きを追う愉しみではなく、ずっと気になっていたことの答えがもう解ってしまったのに、それを伝えるすべがない、誰かと分かち合えるものではないと解る孤独、あなたの人生の物語。

時間改変+記憶改変が起こっているらしい。ならば私はもはや私なのか…。信じることと信じないこと、物体と意識、私と貴方の間に書き込まれた一冊。『道化師の蝶』で芥川賞、『文字渦』で川端康成文学賞を受賞し、「文字を読むこと」への飽くなき探求を続ける作家円城塔のデビュー作にして記念碑的傑作。

小松左京『日本沈没』七年前の作にして最重要作品と評されて続けてきた、日本SF文学・正真正銘の“金字塔”。永遠に砂の落ちる砂時計が白亜紀の地層から出土することから物語は始まる。ここに予感する魅惑を遥かに超えていく圧倒的に次ぐ圧倒的な流れ、想像の果を想像し、愛の果から愛する、至高の大著。

幼少の頃から繰り返し見る夢、青年はそれが二百万年前の現実であることに気がついて、古人類学者による壮大な調査プロジェクトの協力者となった――。ヒトの祖先にして限りなく近しい別の生物である「ホモ・ハビリス」との言葉の無い交流、現代で受ける黒人差別 の理不尽、異種との恋。時間SFにして文化人類学SF、“幻の名作”と呼ばれ続けたネビュラ賞受賞作、待望の邦訳。

この世でいちばん時間に追われている人がいるとしたら、この小説の主人公みたいにタイムマシンを作るために誰よりも時間を追いかけている人なのだと思います。

タイムマシンを発明した四人の女性科学者たち。時間旅行が人々の精神構造に与えていく影響を描き出すことに焦点を絞った異色の時間SFであり、巻末付録“タイムトラベラーのための心理テスト”がまた楽しい。読み始める前に一度解いてみて、読み終わってから再び解き直してみるというのも面白いかも知れない。また、SFでは珍しいことに主要人物が全員女性というのも本作の魅力の一つとなっている。

タイムリープ・サスペンス、否。館ミステリ×記憶喪失×タイムループ×人格転移!全ての記憶を喪失した「わたし」は、館に集う人々の意識を転々と乗り移りながら殺人事件の謎を解くまで同じ一日を繰り返し続ける。推理可能性を疑わせるほどの詰め込み設定でありながら、意識を漂わせる美しい文彩と正統派英国ミステリの風格が共鳴して心地よい。タートンの名を一躍世界に知らしめた驚異のデビュー作。

サイエンス・人文、人の内/外・時間の形

衝撃のタイトルを裏切らない。“ホーキングの再来”と評される天才物理学者が時間の物理学的解釈を圧倒的にわかりやすく、驚異的に面白く、徹底的に語り尽くした世界的ベストセラー。相対性理論から量子重力理論といったさすがに難解すぎる問題すら飽きさせないエレガントな語り、文彩。物理学や時間論、科学読み物といった方面に馴染みのない方にも読みやすく、本格である、新たなる名著。

中世の天文学から現代の物理数学に至るまで、学者たちは天体の軌道を算出し、時の流れを幾何学として一枚のイメージに写し取ろうと試みてきた。一つの説が認められては新説が取って代わる、その度に更新されるイメージはどれも不完全に厳密で美しい。そして一度定着した科学的イメージは、その時代の常識の奥深くに焼き付き、思考と直観に地形のように刻まれ、時に文学や美術といった形で姿を変えて表れてくる――。知的興奮が止まらない至上の数学エッセイ。(数学が不得意でも読めました)

人は話し、歌い、書き、読み、奏で、踊り、歩く。人間の営みに流れる多様な時間の連なりを“線”としてモデル化し、その性質を解き明かす画期的な文化論。人の生み出す線は曲がり、うねり、廻るのに、なぜ私達の社会は一直線に進むことを強いるのか。“声の文化と文字の文化”という従来の対立項を批判的に再検討することを通して、規範と表現とが織りなす人間の時間に迫る。

ネズミはちょこまかしているし、ゾウはゆったりしている。ネズミの寿命は数年だがゾウは100年近く生きる。ただしネズミもゾウも、心臓が鼓動する回数は 一生に約20億回である。呼吸は約5億回。哺乳類ならほぼ同じ値だ。小さい動物は体内に起こる現象がすべて速いテンポで起こるので、物理的な寿命は短くても 体感はそう違わないのでないか。誰にでも等しくあるはずの時間。その常識を簡単に覆してくれるのが本書である。

日本映画に現れた「耳無し芳一」を「透明人間」の一形式として捉え、見える表面と見えない内面とを裏返し一つのイメージに映し合わせる技術をX線写真に見る。この原子の技術による視覚性を、原子論を介してボルヘスのバベルの図書館に重ね合わせることで数々の映画の表面に潜んできたものを手繰る、鮮やかな手つきに圧巻の映像論にしてアーカイヴ論。

「秘密」とは何だろうか。一方が抱える内面でありながら、他人との間にある、誰のものともつかない場所。人の内に流れる様々な形をした時間は、伝えようとせずとも他人の内を伝い、跡を残す。看護やリハビリの具体的な事例の分析と、精神医学の理論的な再検討とを重ね合わせることで、人の「傷」に流れる時間に迫る一冊。

頭の中、胸の内、喉の底。発話していない時の言葉は自らの内面にあって、すぐにでも手に取ることが出来そうにも思える。どもること・吃音にまつわる様々なエピソードの分析を通して迫る、人が話そうとする際に巻き込む時間の複雑さ、話すこと自体にある制御の出来なさ。言葉が生まれてくるところ。

「責任」とは何なのか、考える間もなく私達はそれを「負い」、時に「とる」ことになる。むしろ「責任」にはそれ以上を考えさせない何かがある。「~したい」や「~します」の前に折り畳まれた時間の謎。受動態でも能動態でもない古代ギリシャ語の「中動態」の言葉から a西洋思想史上にある「責任」概念を問い直す國分功一郎、依存症や発達障害の当事者研究から「意志」と呼ばれる何かを丹念に見直していく熊谷晋一郎。『暇と退屈の倫理学』以降、互いのテーマに共鳴し共同研究を重ねてきた中で結実した「日常」を織り成すものを問う哲学。

時間という捉えがたいものを、心との関係に絞ったうえで8つのサブテーマに割くことで明晰に論じた一冊。「自由」とは過去と未来の連続の何処に接する「今」なのか…。心理学の実験や哲学の議論を踏まえながら、「記憶」、「自殺」、「SF」、「責任」といった日々を密かに繋ぎ合わせ、生活を根底から支える見えないものに迫る哲学エッセイ。(大学入試の問題文にも採用されました)

日時計、水時計、機械式時計、原子時計…。時を分割し、計算し、共有可能なものとして構築する技術は時代とともに移り変わり、時代を造り変えてきた。大時計は腕時計となり、時間生物学が時間薬理学を可能にする。時間と暴力、暦と権力、時計と慣習。これらの連携は緊密化を進め、不可視になるまで分割され、原子や細胞を規律的な規範として、あなたを映す過剰な視覚性へと向かう。時間の過去を知り、未来への想像力となる一冊、遂に文庫化。

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