平成29年11月、新潟水俣病の行政訴訟で、東京高裁は一審判決では認められなかった2人を含む9人全員を認めるよう新潟市に命じた。患者側の逆転全面勝訴である。しかし、そこに至るまで半世紀。あまりにも長すぎる年月。そもそも熊本の悲劇はなぜ繰り返されたのか。水俣病対策会議の初代議長として、患者の心に寄り添ってきた医師による「第二の水俣病」の真相と深層。
10代から目指していた英語講師となり、さらに英語力に磨きをかけるため、社会人留学を果たした著者。しかし留学先のカナダで交通事故に遭い、人生が一変する。命はとりとめたが高次脳機能障害を負い記憶が困難に。社会復帰を目指し作業療法士の専門学校へ通うものの記憶障害のために挫折──学生時代からともに歩む夫、家族、友人たちに支えられ、障害と共存するまでの20年間の記録。
著者はラッキーを家に迎え、あるとき思い立って災害救助犬の試験に挑戦させます。そこにはラッキーを捨てた元飼い主に「こんな賢い犬になったぞ、こんなに素晴らしい犬をあなたたちは捨てたのだ」と言ってやりたい気持ちがありました。ラッキーは見事合格。その後も最期まで著者と幸せな日々を共にします。ラッキーの雄姿を残すために。そして、1匹でも多くの保護犬が幸せになるよう、祈りを込めて。
女性活躍の時代と言われ法が整備されても日本社会の風土や慣習がその実現を妨げている。本書では女性活躍を可能にする環境で1970年代から著者が仕事と家庭生活を両立してワーク・ライフ・バランスが保てた要因を事例とともに4章にわたって解説。70年代から完全だった外国企業の職場環境/欧米で根付いている社会慣習/日本で女性活躍を実現するための課題/働きやすい社会をつくるための心得。
長年ジャーナリズムの世界に身を置いてきた著者が、民族の美点だけでなく欠点も、長所だけでなく短所も、目をそらさず真正面から見据え、民族特性はどこから生まれてくるのか、根源はなにかを問うた日本人論。東京五輪2020のビジョン構築の失敗を糸口に、「唯食論」という独自の視座を築いて解明した日本民族の〈特性〉とは──あなたは自分の《草食性》を自覚していますか?
「こうして時が流れて、今、私は七十六歳。/そして今は富田喜子という名で歌っている。それはかつての私ではないから……/この二十二年、歌うことは、私の人生を支えてくれたと思う」──かつて“西のメロンちゃん”と呼ばれ、人気DJだった著者。しかし、マスコミを賑わす事件で、表舞台から姿を消した……。現在、シャンソン歌手として活躍する著者が、波乱万丈の人生を振り返る!
ふわりと花に似た匂いがした。一瞬、たよやと思うた。振り向くと背の高い女性がいた。名前は朝子。ただそれだけで、何の不安もためらいもなく、私は朝子に抱かれて夜を過ごした。(「桜恋記」より)
お母さんは家族の太陽です! 「子育て」をしたとは言えない父親だけど、母親の苦労に寄り添い、子どもの背中を押したい。「子育ては勿論のこと教育まで母親まかせとなり、父親の権威も失墜、家庭における立場がなくなりつつあります。それでもお父さんの役割は大きいということを自覚してほしいのです」(本文より)。現代の難しい世を生きる子どもたちと親たちへのメッセージ。
村山少年は10歳になると望遠鏡をみずから手づくりした。近くの星から遠くの星まで、星たちはいつも変わらずそこに居る、みんなぼくの友だちだよ──。小山ひさ子さん、神田清さん、村山定男さん……。じいちゃんの話をきっかけに、戦前、戦中、戦後と、日本の天文学を支えたアマチュア天文家たち、そして昭和という時代を調べたケイタ君。その成果を、多くの資料や写真とともにまとめた一冊。
認知症高齢者グループホームを経営するとも子は大晦日の夜、道で倒れている女性を助けた。ユキと名乗る女性はお金も帰る家もないという。とも子はユキにホームで働くことを勧める。ユキは入所者の言動に戸惑いながらも懸命に働く。初めて心を開いて話せる貴田とも出会い、ホームの生活に馴染んだユキだったが、誰にも言えない闇を抱えていた。介護現場のリアルと社会の闇が交差する小説。
「親は子供の気持ちを考えて、寄り添ってあげて」。身内から家に閉じ込められ、自由にでかけることができないストレスから、長年にわたり、精神の病を患う。好きな人と結婚して子供を産むという願いは叶わず、理不尽な出来事が続くが、友人たちにも励まされ、残りの人生を前向きに生きていく決意をする著者。説得力ある言葉が光る、自身の半生を振り返ったエッセイ。
しあわせな老後とは? サービス付き高齢者向け住宅、通称、サ高住。「陽光園の居室面積は十八平米の単身仕様。……便利と言えば便利だが、反面、これまでの暮らしとの違いが大きすぎて、浩三は拘禁状態に置かれたような戸惑いになかなか慣れることができなかった」(本文抜粋)。そこに暮らす人々の人間模様と心あたたまる交流、そして人生の無常。今だから書けた90歳の再デビュー作品。
持病の糖尿病に起因して40代で失明した著者は、突然見えなくなったことでふさぎ込み、家から出ない生活を続けていた。しかしやがて周囲の人の働きかけで外の世界への興味を取り戻し、生きがいがほしいと思うようになる。そんな時、市の広報誌で障がい者のアメリカ姉妹都市への福祉視察の公募を知って……。視力障がい者として三十五年。前を向いてチャレンジを続ける女性の自伝。
一浪しても第一志望の京大に合格できなかった僕は、不本意ながら理工系では一流の国立大学に入学。先輩に誘われるまま、創部間もないアメリカンフットボール部に入部する。しかしその実態は、試合に必要な11人のメンバーがやっと揃うようなアンダードッグなチームだった……。人生もワンノンワンの精神でぶち当たり、受け止めろ! 大学アメフトに青春を捧げた青年たちの物語。
妻子ある男性との関係。仕事。最愛の母との暮らし。動物達。手にしたものが、次々と去っていく。でも、どんなときにも、日々の努力で乗り越えてきた。一人の女性の生きてきた「道」がここにある。「この私の体験と経験に似た人生を歩み、苦しんでいらっしゃる方には、何かのお役に立てて頂ければ本当にうれしく、喜びとなり、良き道案内になれば幸せに思い、書き綴りました」(本文より)。
アスクレピオスとはギリシャ神話に登場する名医で、「医神」として医学の象徴的存在であり、手に持つ「アスクレピオスの杖」は、WHO(世界保健機関)のマークの由来にもなっている。そんな「聖域」とも言える病院内で、密かに繰り広げられる「勢力争い」。病院統廃合に絡む「欲」と「策略」の数々を、自らその罠にかかりそうになりながらも解明せんと奮闘する、新任医師たちの物語。
一人息子のコロナ死の投稿記事が朝日新聞に掲載された著者の自伝。学生時代は猛勉強し特別奨学金を得た。就職では大企業への採用を勝ち取った。転職後トップセールスマンになり結婚したが夫はDV。懸命な子育て中に運命の出会いが訪れ仕事を再開するも廃業、そして伴侶の闘病、息子の突然死……。壁が立ちはだかるたび闘争心が湧き起こり、前を向いて突き進んできた73年の人生を綴る。
苦難を乗り越えてきた著者に、人生最大といってもいい難関「老親の看取り・相続」が立ちはだかった! 抑圧された子ども時代、こんなはずじゃなかった結婚、特別支援学級の教師として生徒と向き合ったこと……。激動の半生を「ちょっと寄り道」エピソードを交えながらユーモアたっぷりに振り返りつつ、現在の日々を活写する。カバー題字は著者の母、イラストは友人が手掛けたもの。
昭和40年代。正看護師の職を捨て、家族や親類すべての反対を押し切って、私は三世代同居の長男の元に嫁いだ。一年目に長女が生まれた時、「さあ、嫁に根がついた」と食事のおかずが半分になり、その二年後、次女を生んで家に帰るなり、「べさばっか(女ばっかり)と義理の両親、その祖父に言われる──男尊女卑の空気が色濃く残る地方にあって、負けずに生き抜いた嫁の、壮絶な半生記。
一体魂が魂を好きになる、愛する、とは、どういうことなんだろうか──。地方のカトリック教会で、迷い込んだビーグル犬のセルマと暮らす村上神父。彼のもとには、信者というわけでもないのに、さまざまな背景を持つ人たちが訪れる。部下の妻に想いを寄せる男性、不良青年、家族の世話に疲れた主婦……。人々との触れ合いを通し成長、変化していくそれぞれの心もようを描く。