2023年10社共同復刊27
[ごあいさつ]
2023 年、第27 回目の10 社共同復刊、今回も多数のリクエストをいただきありがとうございました。2 月28 日までの期間中に、紀伊國屋書店内公式サイト、復刊ドットコムの特設サイトおよびFAX で、受けつけたリクエストは総数約6,617 票、最多書籍には141 の票が寄せられました。いただいたコメントには、それぞれの書目に対しての皆さまからの熱心な要望が伝わっており、各発行出版社はこの結果を元に、復刊書目の選定をいたしました。今回の共同復刊で実現できなかった書目からも、各社独自の方法で復刊を予定している場合もあり、1 点でも多くの品切れ書の復刊の実現にむけて努力してまいりますので、今後の各社の復刊情報にご注目くださるようお願いいたします。
今回、各発行出版社の判断により復刊を決定した書目は41 点41 冊。書籍は5 月下旬より全国約200 の協力書店店頭にて展示されますので、足をお運び頂けましたら幸いです。
※2023年のブックフェアは終了いたしました。
今年も充実した復刊ラインナップができました。来年以降も、読者の皆様のご期待に添えるように活動を継続させて参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
※内容についてのお問い合わせは発行出版社までお願いします。
参加出版社
■ 岩波書店 〒101-8002 千代田区一ツ橋2-5-5 TEL 03-5210-4113
■ 紀伊國屋書店 〒153-8504 目黒区下目黒3-7-10 TEL 03-6910-0519
■ 勁草書房 〒112-0005 文京区水道2-1-1 TEL 03-3814-6861
■ 青土社 〒101-0064 千代田区神田猿楽町2-1-1 浅田ビル1F TEL 03-3294-7829
■ 創元社 〒101-0051 千代田区神田神保町1-2 田辺ビル
■ 東京大学出版会 〒153-0041 目黒区駒場4-5-29 TEL 03-6407-1069
■ 白水社 〒101-0052 千代田区神田小川町3-24 TEL 03-3291-7811
■ 法政大学出版局 〒102-0073 千代田区九段北3-2-3 TEL 03-5214-5540
■ みすず書房 〒113-0033 文京区本郷2-20-7 TEL 03-3814-0131
■ 吉川弘文館 〒113-0033 文京区本郷7-2-8 TEL 03-3813-9151
⇒<書物復権2023> リーフレット 第2号(2023.4)(PDF)はこちら
三中信宏さん「みをつくし読書帖」
「みをつくし読書帖」
三中信宏
(みなか・のぶひろ)1958 年生まれ。国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構を経て、現在は東京農業大学客員教授。東京大学大学院農学系研究科博士課程修了(農学博士)。専門分野は進化生物学・生物統計学。主な著書に『読む・打つ・書く』(東京大学出版会)、『読書とは何か』(河出書房新社)など、訳書にエリオット・ソーバー『過去を復元する』(勁草書房)、マニュエル・リマ『系統樹大全』(ビー・エヌ・エヌ新社)などがある。私の研究室にはおそるべき量の本が堆積している。そのほとんどが私費購入本なので、今春の退職に際してはすべて片付けないといけない。年度末はその梱包と搬出でてんてこまいである。長年にわたって本を買い蒐めた報いだと後ろ指を刺されているが、当の本人はたいして気にせず、腰をさすりながらも連日本を運び出している。
本棚をごそごそ掘り起こすとたまに長年見つからなかった本に再会し、「お前、ずっとここにいたのか」としばし時を忘れてたたずむことがある。西田龍雄『西夏文字─その解読のプロセス』(1967 年、紀伊國屋書店)はそんな本だ。本書は「紀伊國屋新書」なる今ではもうなくなってしまった新書の一冊として出された。京都の河原町にあった駸々堂書店(ここもすでにない)で本書を手にしたのは、私がまだ高校生の頃だった。「西夏文字」なる外見は漢字に似ているがやたら画数が多い複雑怪奇な文字体系に私は魅了され、本書をめくりながら西夏文字を書く練習までしたほどのめりこんだ。
半世紀も前に私がたまたま西夏文字と出会ったのは偶然だったにちがいない。どうしてこんな本を買う気になったのか、今となってはまったく記憶がさだかではないからだ。将来進むべき道などまだ何も見えていなかった時代の読書が自分のその後の人生をどのように方向づけたのかは、ずっとあとになって初めて気づくのかもしれない。
著者のいる京都大学文学部に進まなかったのは私の人生の選択だった。しかし、"澪"としての本と出会い、その後はいったん別れても、歳月が経ったのちに思いがけずまた再会することはあるだろう。今世紀になり、伊藤悠の連載漫画『シュトヘル』(小学館、全14 巻) を手にして何十年ぶりかで西夏文字の世界を再訪し、かつて経験した熱を思い出した。この西夏文字は現在ではユニコードを使えばコンピューター入力さえできるという。
出会いと別れと再会は読書経歴では珍しいことではない。本を読んでもそのほとんどは忘却の彼方へと霞んでいってしまうからだ。そう考えると西田龍雄『西夏文字』は実はひとつの"澪標"として私の人生を導いてくれたのかもしれない。
昨年の〈書物復権〉では、まさにこの『西夏文字』が復刊候補本の一冊としてリストアップされていた。残念ながら選ばれはしなかったが、きっとまた復刊のチャンスはやってくるにちがいない。ガンバレ、西夏文字!
読者からのメッセージ
■読みたいなと思っていた本が、この企画で復刊されたことを知りました。本との出会いが増える素晴らしい企画だと思います。(20 歳・大学生)
■毎年楽しみにしています。絶版になっていたシオランの書物が復刊され、何度か購入させていただきました。今回のリストに『水と夢』が入っており、とても嬉しく思います。復刊された暁には購入させていただきたいです。
■本屋で見たことのある本が候補になっています。意外な思いとともに、このような形でしか復刊しないのを寂しく思います。(58 歳・公務員)
■特に『神と人のはざまに生きる』の復刊を強く希望いたします。フランスという西洋思想の代表のような国の著者が、日本の憑依という文化を紐解く大変貴重な考察とドキュメンタリー資料で、古本は法外な高値によって読むことができないのは残念極まりない。(54 歳)
■絶版になっているものが多く、高価で学生には手が出せない。(20 歳・大学生)
■私が復刊を希望した書籍は、いずれも現代哲学の前提や背景を提供してくれる古典です。これらの作品を読まなければ、若い哲学愛好家は議論の基本となる文脈を詳しく知らないまま、空をつかむような体験を繰り返してしまうかもしれません。もしも復刊されましたら、私も必ず購入しますので、検討していただきたいです。(30 歳)
■毎年楽しみにしています。興味関心は年とともに変わるので、新刊時に興味がなくてもその後興味を持つジャンルもあり、その際に様々な書物が絶版となっているのは残念な気持ちです。このような機会に復刊していただくのは、本・著者だけでなく読者にとってもとても有益だと思います。
■買いそびれてしまい、絶版になってしまい、古書で高額になって悔しい思いを何度味わったことか。復刊されることで知的チャンスに恵まれる機会を頂き、感謝の気持ちで一杯です。(68歳・会社員)
■このような企画は私のように学問を始めるのが遅かった学生にとって救いであり、大変ありがたいです。出版不況と言われて久しいですが、私は本の重さ、紙の香りに触れながら無意識的にページを繰る時間が好きです。そのような時間に浸るためにも、書店を何気なく散策する中で少し古い良作と触れ合える環境が続いて欲しいと思います。(19 歳・学生)
■ロラン・バルト『喪の日記』の復刊は以前より強く強く希望しておりましたので、このような機会をいただけてとても嬉しいです。バルトのこの著作は彼の言語による感情表現の水晶のようなもので、亡くなった母への尽くしきれない哀しみがひしひしと表れています。バルトの著作の中では有名なものではありませんが、間違いなく重要な著作だと思います。ぜひ復刊していただきたいです。(51 歳)
■現在では入手困難な書籍が手に取って読める機会が設けられるというのはとても大切なことだと思います。今後ともこのような機会が継続されることを切にお願い申し上げます。(51 歳)
■スマートフォンで何でも気軽に調べられる昨今、じっくりと考えながら読み進めるような本を、一生のうちに一冊でも多く読みたいと思っております。貴重な作品を復刊していただけるありがたい企画です。(53 歳・会社員)
■著された豊かな知を後世まで受け継ぐことは、重要なことかと思います。(32 歳・書店経営者)
⇒<書物復権2023> リーフレット 第1号(2023.1)(PDF)はこちら
岩川ありさ さん「書物復権によせて」
書物復権によせて
岩川ありさ
(いわかわ・ありさ)1980 年兵庫県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程修了。博士(学術)。現在、早稲田大学文学学術院准教授。専攻は、現代日本文学、クィア・スタディーズ、フェミニズム、トラウマ研究。大江健三郎や多和田葉子らの作品を中心に、傷ついた経験をいかに語るのか、社会や言語、歴史との関わりにおいて研究している。著書に『物語とトラウマ――クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社、2022 年)。ある人にとって本を読むことは生きのびるための手がかりになる。本のなかに広がる世界には、かつて他者によって書かれた言葉があふれている。本は記憶を伝えるための時間輸送装置だ。あなたは何を見て、何を感じ、何を考え、何を伝えるために、この本を書いたのだろう。あなたが生きた時代や世界にはどんな景色が広がっていたのだろう。書物が復刊されるということは、過去と現在とのあいだに改めて関係性を結ぶことにほかならない。「いま、ここ」と、あなたがいる時間や空間に回路がつくられる。すると、この生きづらい時代を照らすような言葉が生まれる。
しかし、書物のバトンは、伝えなければ、伝わらない。ひとつの世代、ひとつの集団で、独占してはいけないのが「知」だ。思わぬ出会い、思わぬ混淆、思わぬ変容、思わぬ意味の発生、それらをためらわなくてもよいのではないか。あまりにも、嘘と虚像で世界が塗り込められて、自分たちに刻まれた傷や痛みにすら気がつけない。ものわかりのよい言葉、共感するための言葉がゆきかい、怒りや悲しみをとじこめることが求められる。そのうちに、自分自身の言葉は枯れ果てて、スローガンのように自動化した言葉を用いてしまう。戦時下の戦意高揚、ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチなど、言葉の硬直がもたらしたのは、こわばった全体主義と差別と殺害だ。
誰の言葉が伝えられて、誰の言葉が伝えられないできたのか。尊厳を奪われてきた人びとが語るための言葉はすくない。しかし、たしかに、伝えようとした人びとがいて、書物をとおして、言葉は届く。百年前の言葉、千年前の言葉が、今を生きる私たちの困難をあらわしていて、驚くことがある。あなたも困難な時代を生きたのかという発見がある。読み解かれるまでの長い時間を本は待っている。その手触り、その存在が、私の現在の困難とむきあうための手立てをくれる。
書物復権。この言葉は本を未来に伝える営みを指すのではないか。書物は音を立てて消え去るのではない。ひっそりと書店から姿を消し、出版社の倉庫からも姿を消してゆく。私は、すぐに何でも擬人化してしまうので、書物が去る姿を思い浮かべる。消えたいと思って消える書物もあるかもしれない。でも、ほとんどの書物はそう望んでいないのではないか。だから、もう一度、戻ってきてくれたことを喜びたい。出版や書店のあり方は大きく変わっている。どう本を届けるのか。たやさぬバトンの届く先に私たちの生をつなぐ可能性はある。