キノベス!2016
(2014年12月〜2015年11月出版の新刊/第13回)
キノベス!2016 第1位『羊と鋼の森』
宮下奈都さん 特別寄稿小さなこと、大きなこと
私の小説は、ささやかで、大きなことが何も起こらない、とずっといわれてきました。そうか、そうなのか、と思っていましたが、十年書いておぼろげに見えてきたことがあります。小さなことと、大きなこと。どちらが大切で、どちらが尊いか、くらべる必要はないのです。ひとりの人間の中に変化が生まれる。それは、小さなことでしょうか。他の誰かから見れば、どうということのない、もしかすると気がつかないくらいのことかもしれません。でも、本人にとってはぜんぜん違います。
『羊と鋼の森』で、主人公がピアノの中に羊を見つけたとき、世界は変化します。彼が慎重に森へ一歩踏み出すとき、情熱を持って駆け出すとき、それを書いている私も変化していました。これでいいんだ、これを書きたいんだ、という確信めいたものが生まれました。
この『羊と鋼の森』でも、大きなことは何も起きていないといわれるならば、この世に起きていることって何でしょう。人が生きていくこと以上の物語がどこにあるのでしょう。鍵盤をぽーんと鳴らすだけで鼓膜にさざ波が立つように、そのさざ波がやがて心を揺らして人を変えるように、私は人と響きあいながら生きていきたい。そういう人の物語を書きたい。静かでも、目立たなくても、人が生きていく奇跡を、そのしみじみとした明るさを、書いていきたいと思います。それが、ささやかな、と形容されるなら、そのささやかさは誇ってもいいのではないかと思うのです。
このささやかな本を1位に選んでいただけて、とてもうれしいです。キノベス、いいなあ。この時季は毎年そう思ってきたけれど、今年は特別な年になりました。ああ、キノベス、いいなあ。ほんとうにありがとうございました。
宮下奈都 (みやした なつ)
1967年福井県生まれ。上智大学文学部哲学科卒。2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に入選、デビュー。2007年に発表された長編『スコーレNo.4』が絶賛される。2011に刊行された『誰かが足りない』は本屋大賞にノミネートされた。その他の著書に『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『ふたつのしるし』『たった、それだけ』など。*プロフィールは当時のものです。
キノベス!2016
(2014年12月〜2015年11月出版の新刊/第13回)
*推薦コメントの執筆者名に併記されている所属部署は当時のものです。現在は閉店している店舗もあります。